昭和75年12月2日(土)

朝から、母のことを心配して電話が殺到。
ありがたいことだが、こちとら同じ話を何度も繰り返すので疲れる。いっそ、芸能人のように、記者会見でもするか?
午後3時、父と祖父とで面会に行く。
祖父が慌てたようにICUから出てくる。「おい、話が出来るぞ!」へ? 話? 誰が?私の頭には「ナゼの嵐(スケバン刑事@少女鉄仮面伝説エンディング)」が鳴り響いた。まぁ、ナゼ? というよりはナニ? のほうがピッタリくるが。
急いでICUに入る。どうでもいいが、消毒液は手のささくれに染みる。母のベットに近づき話しかけてみると、目を開けて、ちゃんと答えるではないか!しかも、こんな状態になっても仕事の心配してやがる。仕事のことや家のことは心配しないでいいから、寝てやがれ。うれしくて、うれしくて、涙が出そうだった。
夜、カミさんが来る。
話が出来たと話すと、カミさんも泣きそうなくらい喜んでくれた。話が出来るということが、こんなにもうれしいとは思わなかった。