昭和76年6月19日(火)

もう、数年も前になりますか。ワタクシ、実は以前、モノカキでした(まぁ、過去の日記を読めばわかりますが)。で、ワタクシがモノカキだった時、はじめて担当になってくれた編集者というのが、あの有名な『危ない薬』の著者であり、『危ない一号』の編集長(後にバックレ)だった 青山正明さんだったんです。

本当に、いろんな意味で思い出深い人でした。

謎本(あえて名前は伏せる)の原稿執筆中、出版社にいる青山さんの元へ資料を借りようと連絡したところ、
「わかりました。ちゃんと揃えて待ってますから〜!」
という気のいい返事を頂きました。
数時間後、出版社を訪れると机の上で熟睡している青山さんを発見しました。予想通り、資料はありませんでした。
その時、騙されたことに気がつきました。

その後、その某謎本の原稿執筆中に、
「ネタがなくて困ったっす! この作品に謎なんてないっすよ!」
と相談すると、青山さんはあっさりこういいました。
「京四郎くん(当時はペンネームで呼ばれてたけどな)、謎なんてもんはねぇ、探すもんじゃないんですよ。創るものなんです!!」
その時は「さすがスゴイ編集者!」と思いましたが、今更ながら騙されたことに気がつきました。

さらにその後、その某謎本の打ち合わせにて、なれない徹夜で体調が悪いことを相談すると、
「京四郎くん、いいモノをあげよう」
と不思議なお薬を数錠渡されました。青山さん曰く
「これは、頭が良くなる薬、スマートドラッグだよ」
服用後、騙されたことに気がつかない自分に気がつきました。

そういえば、その時の打ち合わせの時に、こんなことを話てくれました。
「おれ、多分、日本で最初にデジタルの携帯電話を盗聴された男だよ!」
どうやら、お薬(勿論非合法)の取引関係でわかったみたいです。
さすがにこれは、騙されたとは思いませんでした。

こんないろんな意味でスゴイ人でしたが、やっぱり青山さんは、ワタクシにとってあこがれのかっこええモノカキの人でした。

そんなステキな青山さんが、昭和76年6月17日、お亡くなりになりました。

青山さん、あの世じゃきっと、ロリコン規制法も薬物取締法もないでしょうから、安心して、思う存分楽しんじゃって、思う存分寝ちゃってください。
もう、〆切もケーサツも盗聴もないですから...。

今回の爆読
「危ない一号・第四巻」青山正明全仕事
これが結局、青山さんの遺作となってしまったみたいです(未確認)。
このムックを最後に、危ない関係から足を洗って、精神世界関係の作品を執筆しようとしていたみたいです。今となっては、その作品はもう読めないと思うと、残念でしかたないです。
では、青山さんの最後の一文を引用して締めましょう。

へのあかか、やしずすともね、のまたんき

*オレの担当編集者だった人が次々と出版業界からいなくなるのはガチ!